鯨類―何故彼らは後肢がないのか
図1
シャチ(Orcinus orca)
鯨類は陸上哺乳類に起源をもつ動物で、全国の水族館でイルカショーなどで比較的よく見ることができる身近な動物である。
さて、今回はその鯨類の形態について取りあげていきたい。
この動物に特有な形質は非常に多く
・体毛の消失、厚い脂肪層
・椎骨の著しい増加
・背鰭(骨は入っていない)
・前肢の鰭脚への変化(上下する水平鰭)
・骨盤や後肢の退化
・外鼻孔の後方へのシフト
・脳における嗅球の欠損
(ただしヒゲクジラの系統では組織学研究や遺伝子解析から嗅覚を完全には失っていない可能性も示唆されている。これについては以下を参考されたし)
上の記事の京都大学のプレスリリース
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2014/documents/150304_1/01.pdf
・頸椎の癒合
・聴覚系の進化
・他の哺乳類と比較して上顎骨と後頭骨が接近している
が挙げられる。
種によっては吻部に電気受容体を持つなど話は尽きないのだが流石に全てをここでは取り扱うことはできない。
したがって今回は四肢に着目して話をしていきたいと思う。
図2
S. jiashanensis クジラの祖先と系統的に近いと言われている。この時はまだ後肢が存在し、また全体を通しても現生の鯨類のような特徴は一見するとみられない
図3
鯨類の全てに共通することだが、彼らには後肢というものが存在せず、前肢はオール状の形態をしており、陸上哺乳類とはひどくかけ離れた姿をしている。
なぜこのような形態が生じたのか。
それについて分子レベルでの説明を試みてみようと思う。
四肢形成に関わる因子として重要なタンパク、Shh(sonic hedgehog)とFgf8(fibroblast growth factor)が知られている。
Fgf8は肢芽誘導・伸長を引き起こす因子として知られており、AERから分泌されると考えられている。ShhはZPAから分泌され、四肢の前後軸に重要な役割を担っている。
図3は四足類共通の四肢発生プログラムを示す。
この遺伝子の発現解析をマダライルカ(S. attenuata)胚を用いた研究で後肢ではFgf8の発現が見られず、Shhも後肢では発現が見られないことが明らかになった。
Developmental basis for hind-limb loss in dolphins and origin of the cetacean bodyplan
恐らくこの上流の遺伝子(恐らくHox)の後肢特異に働くエンハンサー領域が機能欠損を起こしているのだろう。
次に前肢の話だが(ちなみにこれはあくまで推測でしかないのだが)指骨の増加はFgf8の発現を制御するBMPの働く時期が遅延しているのではないかと考えられている(ギルバート発生生物学に載っているとは思うが私の勝手な憶測かもしれないことに注意)
現生のシャチ(Orcinus orca)痕跡的にしか後肢を残していない
余談だがしばしば後肢(形態上腹鰭というべきか)が出現した個体はしばしば自然界でも確認されている。所謂先祖返りという現象だが、こういった変異は恐らく先述の四肢形成に働いているどれかの因子が機能回復を果たしたことにより生じた表現型だろう。
前肢は恐らくもとには戻らない不可逆な形態変化を遂げたが、『退化』した形質というものは可逆的なものもしばしばなのだ。
参考文献
Developmental basis for hind-limb loss in dolphins and origin of the cetacean bodyplan
Dolphin Development - Embryology
写真は全て名古屋港水族館にて撮影